泣いたっていいじゃん。

メモみつかる 2年前の体力の続き。
>2012年10月の日記より

泣いたっていいじゃん。
テレビの障害者、闘病者番組でも「明るく元気に前向きに闘病する人」が取り上げられる。
そのひとたちにだって、たくさん泣いて、悲嘆に暮れて、絶望したこともあったろうに。
そこの部分は端折って伝えられ、「今、元気に前向きに輝いています。すばらしいですねー」と。

そこで、元気に明るく闘病できない持病もち者は、責められているように感じる。
健康な人々も、暗に強要する「ほら、あそこの○○さん、〇〇病なんだって。でもそんなこと微塵にもださずにはたらいていて、偉いわねー:」「ほら、あそこの○○さん・・」


そこにいたるまでにはたくさんの涙が必要なのだ。たくさんのじたばたが必要なのだ。

弱さによりそい、「辛いね・・・」「つらいよね」と共感してくれる友や家族、見知らぬネットの闘病仲間が必要なのだ。

でも、現在「つらいねー。でもさ、ほら、病は気からっていうじゃん。前向きに」などと、
相手の辛さ苦しさは「つらいね」とさらりとは言うけど、受け止めずに「でもさーほら、もっと前向きに」 と、
上から目線で頑張ることを、泣かないことを強要するのだ。

まずは「つらいね。頑張ってるよ。あなたの辛さを完全にわかることはできないけど、想像はできる。何かできることがあったら言って」
とまずは相手の気持ちの寄り添おうとする、そこが大事なのに。
前を向くには、這い上がるには、共にいるよ。ってのがまず先に必要なのだ。

ま、今の世の中面倒なことにはかかわりたくないって風潮だからね。
だれだって、暗さや闇病気に近づこうとはしない。
だから闘病者は  受け入れられるために「私、がんばってます!努力してます!前向きです〜。明るくいかなきゃ病気にまけちゃうもんね」
ってな姿勢でいようとするし、健康人も暗さもなくことも助けを求めることも、つまりは自分に迷惑がかからないから
ポジティブな闘病人をほめたたえる。そして、もちろん日常では嘆くことはしないけれど、
そこで淡々と闘病するだけで精いっぱいの人を 「もっと前向きに〜。治すために努力してんの」などと言うんだ。

おいおい、「また太っちゃった。どうもおやつをたべすぎちゃうのよね。コレステロールあがっちゃって」
なんて節制できない自分を棚に置いてよく言うよ。

ああ私ったら、罵言ばっかり。いや、普段言えないから・・そんなこと。



小泉政権の時代に政治の責任を棚にあげて、「弱いのは自己責任、」だの「負け犬」とかいう風潮ができあがった。もっと優しくなることが、そして手を携えて共に生きることが、皆が幸せに生きることにつながるのに。

たくさんの人が様々なをして毎日が支えられているのに、勝者、成功者、元気人は、自分が頑張ったから、
自分だけの力で今があると勘違いしている。


ホントたいしたことを言えた義理じゃないんだけどさ、私。
だけど長らく、いろんな持病を抱えながら、生きているからこそ、語れることがあると思う。


病気や障害に苦しむ人へ カトリック・ポエム集その2 病気になったら
http://www.youtube.com/watch?v=nGv7hJYu-wk
(リンク切れ)

ネットサーフィンで見つけた。見た。泣いた。
気づかないうちにこわばっている自分の体。
わかってくれる人がいる、弱さも抱擁してもらうことで、
ほぐれるからだ、安らぐ心。
泣いたあと、微笑んでいる自分に気づいた。


以上ミクシ日記より。
2年前の正直な気持ち。



残念ながら「病気になったら」の動画はリンク切れ。
マリア様だったかキリスト教っぽい絵をバックに
「病気になったら」の詩が白い文字であがってくる。
パッヘルベルのカノン、弦楽アンサンブルかチェロだったか忘れたけれど、カノンをBGMに。
静かに泣いたっけ。何度も。何度も。


動画がなくなっていて残念。
カノン流しながら読んでみて〜。



「病気になったら」

病気になったら、どんどん泣こう
いたくて眠れないといって泣き
手術がこわいといって涙ぐみ
死にたくないよといって めそめそしよう
恥も外聞もいらない
いつものやせ我慢や見栄っぱりを捨て
かっこわるく涙をこぼそう
またとないチャンスをもらったのだ
自分の弱さをそのまま受け入れるチャンスを 


病気になったら 思い切り甘えよう
あれが食べたいといい
こうして欲しいと頼み
もうすこしそばにいてとお願いしよう
遠慮も気づかいもいらない
正直に わがままに自分をさらけだし
赤ん坊のようにみんなに甘えよう
またとないチャンスをもらったのだ
思いやりとまごころに触れるチャンスを 


病気になったら 心ゆくまで感動しよう
食べられることがどれほどありがたいことか
歩けることがどんなにすばらしいことか
新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか
忘れていた感謝のこころを取りもどし
この瞬間自分が存在している神秘
見過ごしていた当たり前のことに感動しよう
またとないチャンスをもらったのだ
命の不思議を味わうチャンスを 


病気になったら 素敵な友達をつくろう
同じ病を背負った仲間
日夜看病してくれる人
すぐに駆けつけてくれる友人たち
義理のことばも 儀礼の品もいらない
黙って手を握るだけですべてを分かち合える
あたたかい友達をつくろう
またとないチャンスをもらったのだ
試練がみんなを結ぶチャンスを 


病気になったら 必ず治ると信じよう
原因がわからず長引いたとしても
治療法がなく悪化したとしても
現代医学では治らないといわれたとしても
あきらめずに道をさがし続けよう
奇跡的に回復した人はいくらでもいる
できるかぎりのことをして 信じて待とう
またとないチャンスをもらったのだ
信じる喜びを生きるチャンスを 


病気になったら 安心して祈ろう
天にむかって思いのすべてをぶちまけ
どうか助けてください必死にすがり
深夜 ことばを失ってひざまずこう
このわたしを愛して生み 慈しんで育て
わが子として抱きあげるほほえみに
すべてをゆだねて手を合わせよう
またとないチャンスをもらったのだ
まことの親に出会えるチャンスを 


そしていつか 病気が治っても治らなくても
みんなみんな 流した涙の分だけ優しくなり
甘えとわがままを受け入れて自由になり
感動と感謝によって大きくなり
友達に囲まれて豊かになり
信じ続けて強くなり
自分は神の子だと知るだろう
病気になったら またとないチャンス到来
病のときは恵みのとき


だいじょうぶだよ 単行本 晴佐久 昌英  著より引用

だいじょうぶだよ            

だいじょうぶだよ            


アマゾンをクリックすると2012年10月に購入しましたと出ている。動画をみて早速購入し、入院するときにもっていったのだった。


その後しばらく本棚に眠っていたこともあったけど、
今年3月ぐらいからは常に枕元に置いてある。
「いいよ」「君は弱いときにこそ」「しみじみ教」「贈り物」32の詩。

どうしょもなく不安で、胸がざわざわするそんな夜に読む。心を救う詩集。

だいじょうぶだよ。と。


まずはどんどん泣こうじゃないか。
そこから始まる。