抜け出したい。

2年前の9月は膠原病といわれて、検査におわれていた。
確定診断が降りたのは9月末。
検査入院は11月。
さて、その間 まず病気を検索しまくった。
前々から疑いはあったから本は持っていたけど新しく本を買った。




やー、とってもとってもいい先生だったんだ。
サクサク!と検査をいれてくれて、
レントゲンみせてくれて
「手の指の骨がね、ほら・・消えてるの」と説明もしてくれたし、
今まで体調悪くって辛くって、でも回りにいってもわかってもらえなくて怠けてるように思われてっていったら
「そんなことないよ〜。この数値じゃ疲れて当たり前。
よく頑張ってきたよ」と。

んなこと言われたことないもんで、
ダラダラすごしてるとしか思われてないことわかってたから、もっと何か積極的に行動できるのではと暗にいわれたこと何回もあったし、
「私はこうやってるだけで、現状維持で精いっぱいなの」と涙ながしてブチぎれたこともあった。

女医さんの先生が
「あーこの数値はね、つらいよね。」と言ってくれたのだ。私を肯定してくれたのだ。涙出た。

でも先生臨時の先生で翌月までだったのだ。
悲しかった。



そして なにをはじめたのかというと片づけ。

「先生、予後は」
と聞いたら「わからない」って。(汗)
アトピーで生きてるような死んでるような状態で生きてきたけど、
ま、ちょとと肺も見てみないと・・とか。
また気分がちがって、
身辺整理はじめたというわけ。


家族に難病であることを伝えて

さて、私は突如、家の自分の持ち物を片付け始めた。
やることをリストアップした。
長らく停滞していた部屋。本は50冊 次80冊とブックオフに持っていき。洋服も片づけ始めた。

俄然張り切って通帳を一つにまとめた。
これが結構大変で、判子がどれだかわからなかったり、
書類をそろえたり。
電話やネットの余計なサービスはやめ、
自分の保険がわかるようにしておいた。
店の経理もわかるように。

それを見ていた母
「そんなに・・かたづけなくてもいいんじゃないの?」と言った。 
わたしが片づけるのをみて涙ぐんでいた。
鬼の目にも涙。

診断が降りて2週間ほどは、いつもの親子バトルは止んだ。
母がやたらしおらしくなった。やさしくなった。
おー、これがいわゆる普通の「愛情ある母」なんだろうなー。いいじゃん。 



でもすぐ死ぬわけじゃないとわかると
また元のように、モラ母し始めた。
親子バトル再開!

今も続行中!
いい年して毒親だなんだっていうのは!
大人なのに、もういい加減やめたら?と
毒親餅でない人はいうだろうけど、長年蓄積されてきた抑圧と弾圧はそう簡単に抜け出れるものではない。



人をけなすのはなぜなんだろう。
人前で娘をちょっとした言葉をあげつらったり
バカにする態度をとるのは不思議だよ。
毒親
体に影響してることは確かだな・・。



体は精一杯悲鳴を上げている。
自分を大事にしろと言っている
It's OK to love yourself!
You are worth loving!


ファイトぉ!