抜け出したい。

2年前の9月は膠原病といわれて、検査におわれていた。
確定診断が降りたのは9月末。
検査入院は11月。
さて、その間 まず病気を検索しまくった。
前々から疑いはあったから本は持っていたけど新しく本を買った。




やー、とってもとってもいい先生だったんだ。
サクサク!と検査をいれてくれて、
レントゲンみせてくれて
「手の指の骨がね、ほら・・消えてるの」と説明もしてくれたし、
今まで体調悪くって辛くって、でも回りにいってもわかってもらえなくて怠けてるように思われてっていったら
「そんなことないよ〜。この数値じゃ疲れて当たり前。
よく頑張ってきたよ」と。

んなこと言われたことないもんで、
ダラダラすごしてるとしか思われてないことわかってたから、もっと何か積極的に行動できるのではと暗にいわれたこと何回もあったし、
「私はこうやってるだけで、現状維持で精いっぱいなの」と涙ながしてブチぎれたこともあった。

女医さんの先生が
「あーこの数値はね、つらいよね。」と言ってくれたのだ。私を肯定してくれたのだ。涙出た。

でも先生臨時の先生で翌月までだったのだ。
悲しかった。



そして なにをはじめたのかというと片づけ。

「先生、予後は」
と聞いたら「わからない」って。(汗)
アトピーで生きてるような死んでるような状態で生きてきたけど、
ま、ちょとと肺も見てみないと・・とか。
また気分がちがって、
身辺整理はじめたというわけ。


家族に難病であることを伝えて

さて、私は突如、家の自分の持ち物を片付け始めた。
やることをリストアップした。
長らく停滞していた部屋。本は50冊 次80冊とブックオフに持っていき。洋服も片づけ始めた。

俄然張り切って通帳を一つにまとめた。
これが結構大変で、判子がどれだかわからなかったり、
書類をそろえたり。
電話やネットの余計なサービスはやめ、
自分の保険がわかるようにしておいた。
店の経理もわかるように。

それを見ていた母
「そんなに・・かたづけなくてもいいんじゃないの?」と言った。 
わたしが片づけるのをみて涙ぐんでいた。
鬼の目にも涙。

診断が降りて2週間ほどは、いつもの親子バトルは止んだ。
母がやたらしおらしくなった。やさしくなった。
おー、これがいわゆる普通の「愛情ある母」なんだろうなー。いいじゃん。 



でもすぐ死ぬわけじゃないとわかると
また元のように、モラ母し始めた。
親子バトル再開!

今も続行中!
いい年して毒親だなんだっていうのは!
大人なのに、もういい加減やめたら?と
毒親餅でない人はいうだろうけど、長年蓄積されてきた抑圧と弾圧はそう簡単に抜け出れるものではない。



人をけなすのはなぜなんだろう。
人前で娘をちょっとした言葉をあげつらったり
バカにする態度をとるのは不思議だよ。
毒親
体に影響してることは確かだな・・。



体は精一杯悲鳴を上げている。
自分を大事にしろと言っている
It's OK to love yourself!
You are worth loving!


ファイトぉ!

膠原病。

疲労と倦怠感で貧血悪化?おかしいなと内科に飛び込んだのが2年前の6月。血液内科での数値検査で、膠原病の可能性があるといわれたのだった。
このブログの最初のほうでも 抗核抗体が高かったから疑いはでていて、でもそのまま様子見だった。
CRP炎症反応はその当時から4ぐらい。
酷い皮膚炎でもでることがあるらしいしっと。

で、2年前の9月に膠原病内科で診察してもらい検査して
あれよと、確定診断。
11月に検査入院。 
急性をようするものでもなかったので
プレドニン30ミリ服用、免疫抑制剤併用が怖く、
ゴネまくって治療を先のばしにした。
去年の夏は暑かった。家の中にいても体温が8度近くにあがってしまうこともあって、なにをするでもないのに完全にグロッキー。 CRPも10近くまで上がって、
こりゃだめだ。 先生お薬飲みます!と薬をはじめたのが一年前の9月。

ああそうだった。今日、携帯のメモを見直して、思い出したのだった。去年の夏はつらかった。足の裏もベロンと皮がむけて痛くてあるけなかったんだった。

お酒が飲めなくなる!と、勘違いし、
ずーっとずーっと何年も行ってなかった
昔仕事帰りに行ってたショットバーに1人で行った。

前は行く友達がいたけど、皆結婚してるし、
病気長いと疎遠になってしまって。

まー、ろうそくのランプきらめく別世界。
ブランデーとウイスキーを味わったんだった。

一年たった。 記念にまた行こう。

とあるブログを見てきたら、
プレドニンの副作用で、骨壊死になり手術を何回も頑張ってる子がいた。私の半分の年齢。
さぞつらいだろう。
私はプレドニンは8ミリと彼女にくらべれば少量だけど、
骨のお薬はアレルギーかもで、飲めない。
先生にはっきりと
「骨に影響でます」と言われたのは前回の診察。
ががーん。
長年の炎症で アルブミンも低く鉄も亜鉛もカルシウムも
旨く吸収できてなかったようで・・。
それは以前からの数値に如実に表れてたし。
だから体重が36K〜38Kと太れなかったのだ。

今、適度に日光浴(日に当たりすぎもダメ)
牛乳、小魚、 バス停を2つ前で降りて歩く。はしている。

時々股関節が痛む。
ああ、骨が心配だ。
プレドニンはよく効く薬だが、副作用はたくさん。

まだプレドニン服用して1年なのに〜!
左目もかすんでる。 右目は角膜潰瘍。(これも免疫疾患関連)

アトピー膠原病もアレルギーの一つなんだよね。型が違うだけ。

アトピーで長年懲役して、出所マジかか?と思ってたらこれだもん。

神様っているの?
いないだろ。
世のなかあまりにも不公平だ。
と思ったなあ。


健康、愛、伴侶、金、仕事、家族 子供 美、 
すべてを与えらてる人もいるのに



なんて不公平なんだ?
神よ、なぜ平等にあたえないんだ?

と 思ったもんだった。


いまだって、思ってる。

不条理だ。


しかし、眼が落ち着いたら、
まだ歩けるうちに、症状がおちついてるうちに
行きたいところに行ったり、
あいたい人に会おうと思う。

今、すっごくすっごく行きたいところがあるけど
交通費もかかるから、悩んでた。

でも、行かなきゃね。
行きたいんだもん。行きたいと思う場所ができたのだから。
貯金、いつ使うの? 今でしょ。


遊びにでかける健康もなかった。
行きたいと思えなかった。

ここ数年の行動範囲、
病院と診療所と、スーパーと ホームセンターと
ドラッグストアと、図書館と、ユニクロぐらい。
外食はごくたまに。
まあ、行動範囲の狭いこと!
年に2〜3回日帰りで、母と店の仕入にはいってる。
電車の中で 寝ていけばいいからね。


元気だったころが嘘みたい。
懐かしい夏のキャンプ。
懐かしい元気なころ。
遠い昔。
あれは幻だったのか、果たしてそこにあったのか。



まずは1年ぶりのショットバーにいって、ブランデーを飲む。命の洗濯をしよう。

そしてもう一か所、

だいじょうぶだよ。に。


自分が欲しているものに正直になろう。
自分に優しくしよう。

自分で自分を抱きしめて。

コメント欄のAさンのコメントより引用


>熱いお湯で痛みをごまかし、出たが最後、皮膚が落ち着かなくて、痛い、しみる、痒いの嵐で、二時間前後、毎晩毎晩、自分で自分の皮膚を抱きしめて、いつ終わるともしれない苦痛に耐えていた。
それが10年以上続いたでしょうか。
いまもお風呂上がりは刺激が少なく消毒性のあるローションと軟膏は欠かせません



ああ、まったく同じだ。ホントおんなじ。
辛かったよね。 お互いよく頑張ってきたよね。
うん、うん。(と自分で頷く)

アトピーがひどかった時。
あちこちに湿疹のため歩くのも痛く、
ひざ裏も割れてるので、そろりそろり歩き、
車にのれば、その微々たる振動すら体に堪えた。
皮膚が壊れてるので体温調節ができず、
夏の体温は7・5分〜8度近くぐらいになってしまった。(これは膠原病のせいもあったかもしれない) 
熱中症状態。
 



そして痒かった。常時痒かった。
とくに寝入りばなと寝起きは一層痒く
枕は血だらけ。シーツは皮膚の皮だらけ。
洋服にも下着にも書き壊して出た血。
体は乾燥と湿疹でピキピキ。掻き傷多数。
お風呂に入るのも勇気。滲みて痛かったのだ。
痛みと叫びを抑えるため、歯を食いしばるために
タオルを噛みしめて、「くぅ〜」と言いながら入る。
しばらく動けない。
そのまま湯船で過ごして上がるときもあれば
薬を落さねばならないので 洗い場に出て、時に石鹸で洗う。
シャワーが痛いのでさるぐつわ替わりのタオル必須。
お風呂から痛さとともにあがったら、すぐリドメックス+ヒルドイドの混合剤とひるどいどをぬって。
ふうふういいながら、
なんとかパジャマを着て、痛みが治まるまで自分で自分を抱きしめた。 



その当時、脱衣所で自分を抱きしめつつ肩をポンポンと叩きながらよく歌った歌がある。 


バラード風に、
♪「希望は突然やってくる。雲間からさす光のように
希望は突然やってくる。雲間からさす光のように。
だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょぶよ。
あなたはひとりじゃないからね。
大丈夫、大丈夫、大丈夫よ。
いつでもそばにいるからね。
希望は突然やってくる。雲間からさす光のように。
希望は「必ず」やってくる。その日を信じてまちましょう。」



その当時ネットをさまよってみつけた動画に
心惹かれて、救われて、節をつけて歌いだしたものだ。
どこから拾ったのかわからなかったのだが、
つい3か月ほど前、上の歌をどこからフレーズをひろったのかが
わかったのだった。 この話は後に続く。今の私を支えるものと関連している。


応援歌風マーチ
♪「頑張ろう頑張ろう一緒にがんばろう。
頑張ろう頑張ろう。いっしょにがんばろう。
大丈夫よ、大丈夫よ。一緒にいるからね。
大丈夫よ、だいじょうぶよ。ひとりじゃないからね」

この歌のKey word は「いっしょに」「いっしょにがんばろう」




自分へのバラード  誰も言ってくれないから自分で自分にくりかえして言ってた。
♪「私はオペラちゃんが大好きよ。
とってもとっても大好きよ。
私はオペラちゃんが大好きよ。
とってもとっても大好きよ。


おまじないフレーズ。
♪「オペラちゃんは元気になるなるなーぁる。ヘイ!
オペラちゃんはげんきにななるなるなーぁる。 ヘイ!」



ああ、風呂上り、よく歌ったなあ。
涙を流しながら。
痛さと悔しさを抱きしめながら。 



「もっと頑張れ」とか
「ほら、もっと前向きに」とか
「あの人〇〇病だけどいろいろチャレンジして
トライして前向きに闘病してるよ」とアドバイスとも批判ともいえない叱咤激励も何度もあった。
(悪かったですね。私だって 断食やらもしたし漢方もヨガもしたこともありましたよ・。。病気が長くなるともうそういう気力すら尽きるんですよ)
現状維持で精一杯だったんですよ。

アトピーの子がいてね、〇〇したらよくなったんだって。〇〇飲んでみたら」
「〇〇しないからだめなのよ。なんでもやってみたら?」


もうそういうチャレンジし、もがく時期は通り越していたのに、
現状維持で一杯というのに、もっと頑張れというのか。
アドバイスやら説教やら・・
もう一杯一杯だというのに、

健康人に 心から痛みとつらさをわかってくれ、というのは無理だろう。 無理だ。
でも、見れば、どんなにか・・と想像することはできるはず。
「つらいね・・・」と受け止めて
「よくがんばってるよ」と少なくとも頑張りを認めて、
共感する姿勢をもって接してくれた上でのアドバイスなら
受け付けることができただろう。


ほとんど、すべて

「もっと〇〇しなきゃ。もっとつらい病の人はたくさんいて前向きに明るく戦ってるよ」。

母や、彼ら、彼女らの言いたいことは「お前は頑張りが足りない」ということなのだ。
川の流されないように必死に踏ん張っているというのに
なのに、なのに、 救命浮き輪を渡すでもなく、
「大丈夫かあ、助けに行くぞぉ(心理的に) 」でもなく
ボートに助けに来てくれるのでもなく、
 川の岸から「ほら、なんで上がってこれないのか、上がってこれる人もいるのに」と。
ああ、彼らにはもともと
私が踏ん張り踏ん張ってることはみえてないのだった。
ただヘラヘラと毎日を怠惰にすごしているようにしか 見えてないのだよね。
だからそんなことが言えたんだ。
 


そういうこと言う人は、ちょっとの肌荒れで
「はずかしくて人前にでれない」と言い
蚊に2か所さされてたぐらいで
「痒いかゆいよ〜」と言ってたりするのに。

悲しみの涙と情を同じくしてくれる人はいず、
上から目線のアドバイスばかり。

まあ、健康人にわかってくれというのは無理というものだけどさ、

想像ぐらいできるでしょ。
鏡みてゾンビ。赤かったり粉がふいていたり。
体も湿疹で痛いとは話してるのだから。


死ぬ病ではないけれど、
社会生活は激しく阻害されるのが重症アトピー

今はステロイドプレドニンで皮膚は落ち着いてきて動けるようになり、症状は昔よりかなり軽く、
見た目もよくなったね〜といわれるが、
それでも やはり湿疹はわかる。

膠原病発覚治療中のためのプレドニン免疫抑制剤の副作用の不安がある。
ああ、不安だ。

角膜潰瘍も。
っと検索してみたら、これも一つの免疫疾患だった。
なーんだ。そうだったのか。

いろいろあるけど
恐れるな。オペラ。
恐れるな。

♪大丈夫。だいじょうぶよ
大丈夫よ。一緒にいるからね。
大丈夫よ大丈夫よひとりじゃないからね〜。

角膜潰瘍。

今朝おきたら、右目がいたかった。
なんかゴミでも入ったのかとソフトサンティアをたくさんつかって洗い流したがゴロゴロ。
目を開けるとまぶしさ。

もしかして?と 鏡をみたら、
右目の茶目の内側の下側に白いものが。

あーこれ角膜潰瘍だ。

なぜなぜ?
21日の診察から月水金曜と飲む朝の免疫抑制剤が2錠から3つにふえた。
でも8月中は、風邪をひいたこともあり飲まなくて
9月からはじめた。 つまりは5回服用したことになる。
昨日は木曜だから飲まなかった。
隔日だし、その薬の影響ではないとはおもうけど。

そういうわけで、
左目 朝晩クラビット
右目 一日4回クラビットと  フルメトロン0.1。
   夜エリコリ軟膏。

あーあ。
なんでこんなに天気いいのに。
秋晴れだよ。
調子はまあまあなのに、なんでまたこうなるの?

ちょっとパソコンしすぎてたってこともあるな。
調子が悪いときは、未来すら考える余裕ないけど
ちょっと調子がよくなると、不安になったり、
元気な他人と比べたり、
失われた時間を考えちゃったりするからね。

プレドニンの副作用で気分の上がり下がりが激しいのもあるだろう。
3月ぐらいから、夜、結構泣く。
いつまで薬を飲み続けなきゃならないんだろうとか、
さて父母もだんだ年を取る
将来ひとりでどうやって食べていくかとか。
ああ、友達いなくなったなあとか。
実は今朝も泣いていた。

家族は知らない。
下へおりてくると普通にしてる。
いつも通り親子喧嘩が絶えないw。

わたしがやろうとすることをすべて否定してかかってくる母。
わたしの言葉も「はあ?」「そんなわけない」とか否定してくる母。
外面は完璧で、むしろ人気ある母。

言葉の暴力・・。
外面いいから
「これこれこうなの」といっても
誰もわかってくれないけどね。

昼間ぼーっと。
部屋の片づけしなきゃならないのに、
買ったハンガーラックを組み立てようとおもいつつ
3か月もたってしまってる。

鬱っていうんだろうね、こういうの。
味方がほしいよ・・。
誰かに 苦しさをわかってほしくて
想いを共有したくてパソコンをさまようわけだけど、
共有できて、ほっとするときもあれば
攻撃されて、恐ろしくなることもある。
所詮バーチャル。
淋しいね。

日記をよみかえしてみると、2007年12月ごろの日記には
>ゾンビの私にとって、友達にも話せない心の闇などをパソコンにかいたり
ネットで情報収集したり、ネットでだれかとつながったり
掲示板を通して雑談したりってのは
外の世界とつながる手段であり、
パソコンがなかったら、苦しくて寂しくてどうなっていたか
母親にも「パソコンがなかったら死んでいたかも」と言ってしまった。
それほど孤独。
元気なころと変わり果てた顔や体を抱えて、無職で、お金もなく、健康もなく、
八方塞でどうしちいかわからなかった私。
その命綱がパソコンだった。 



孤独を抱きしめて。
昔も今も変わってないわw。

今は2〜3の友達とたま〜のたま〜にメール。
そのうちのひとりの友達とは数か月に1度ぐらい電話でガンガントーク。いろんなことを話しワハハと笑う。
ああ、県内だったらいいのに。

でもつい元気ぶるから、なかなか辛さとか苦しさとかはちょっとこぼすぐらいだな・・。
あんまり話しても重いだけだよ。


皆県外だし、会いにいける状態ではなかったし
会うのは年に1回ぐらいだ。

孤独だな。
一緒にランチに行ける友達がいたらなあ。
シングルの中年、家族持ちとは、話合わないんだろうから
持病シングル中年でも孤独感は一緒か〜w。

 

今は 目の治療に専念しよう!
目は大事!

パソコンは今日はこれでおしまい。

近頃の様子。

初めのころから日記を読み返してみた。
ああ大変だったなあ。あの頃。
今はプレドニン服用中で湿疹もかなり改善。
日中は普通に起きて過ごしている。
昼寝もしないでも大丈夫。 


今日は母が外出なので自宅の店で店番。
小売。今の不景気、来客はまばら。

なにより薄暗がりの店だから、アトピーも軽く見えるから安心?。

もちろんすっぴんである。服は体から離れるダボダボ服。
さすがにデパートや元の塾講師みたいな接客は、シャキ、ぱりっとした服を」着なきゃならないだろうし、
いまだすぐにメガネに粉が散る状態で化粧もできないから無理だろうけど。
自宅だから 疲れたら、居間でゴロごろできるからね。


 
ああ、ただ家は、自宅兼店舗なので、昔からのお客さんや近所の人は居間へ来て、
お茶を飲みながら母と話に花を咲かせていく。

当然来ると長い。近所のおばちゃんは、今日も突然きて、1時間半ほどしゃっべって返っていった。だから店は暇なのに、居間は一日誰かいるなんてこともある。そのプライバシーのなさに、具合がわるいときはとっても困った。今は、まあ、もちろんプライバシーは欲しいけど
まあ、いまはもう気心しれた母の友人たち数名だから、大丈夫。私もそこに加わって話している。

以前より格段に私のアトピーが落ち着いているので体力も気力も向上してきていることもあるだろう。



ただ、これ以上 奥に新規の人を入れることは 控えてほしいと思ってる。 
2年前入院したとき 見舞客は家族のみだから
突然人が訪ねてくることがない状態で、 休めたときに、
体の細胞がひとつひとつリラックスしたのがわかった。
ああ、静かに、安静というのはこういうことかと。
心も体も休まった。


その時、皮膚がこわれていて、CRP炎症反応が高い状態で
人と会うのはかなり疲れることなんだなあと つくづく感じたのだ。
先生に「先生!入院させてくれてありがとうございます!ゆっくり休めてます!」と何度もお礼をいったっけ。 



今の状態は
以前からのお客さんから
「なんかとってもきれいになったねー。前と全然ちがうよ。ほっぺもおちついてるよ」とお褒めの言葉をいただく。
それでも一般人からくらべれば、ひと目でアトピーだけどね。

「ええ。ありがとう。今ステロイド飲み始めたんです。副作用は心配ですけれど・・ほかの病気もあって飲まなくちゃならなくなって」と答える。

そう以前より、若返った私。
って以前より月日はたって年をとってるのよ〜。
60後半にみられてたようだけど60前半ぐらいにみられるようになったのかしらん? 



といってもプレをのんでいるのに、
やはり湿疹はある。特にちょっと朝晩涼しくなってきただけで粉粉・・。
寝入りばなや、寝起きはかゆくてかきむしってしまう。
耳回りの湿疹、前みたいに超じくじくではなくなったけど
やはり耳後は血のかさぶた。メガネしてるからしょうがないのかな。
体の湿疹はやはり脇の下、下腹部あたりはじくじくすることもある。もう皮膚の色も赤くなっていて、少しの刺激で
じくじくしちゃうんだよね。
これでも以前にくらべずーっとずーっとずーっと落ち着いてる。
問題はこれから飲むステロイドを減らすとまたぶり返すのではということだ。ぶり返すだろうな。でもステロイドやめたいんだよね。骨と目に来るから。
今もCRP炎症反応が正常値ではないから、減らせないのだけど。 




この冬と夏は久々にユニクロ以外の洋服を買った。
快挙だ。
ずーっとずーっと買いたかった洋服。
すぐに薬まみれ、粉まみれになっちゃうし、
第一デパートにいって、あんな明るい照明のところにいって洋服を選ぶなんて、そおんなこと、こんなゾンビな自分が、そういう場所で、洋服を買うなんて、できなかった。

ずーっとずーっと買えなかった洋服。
今年は買った。

頭は相変わらず坊主頭。
もう生えてこないのね。禿ところどころ毛。
でも、ブログ読むと、初めは自分の坊主頭まだら毛の姿が怖くてみれなかったとある。そう鏡はみれなかった。
しっかし、今では平気で直視してる。

人間慣れるもんだ〜。

おととしの9月、あまりのだるさ、疲れやすさに
内科受診膠原病発覚。
しかし伸ばしていた投薬。
去年の夏はつらかった。だるくてだるくて疲れやすい、
足の裏の皮はなぜかはけて、湿疹もかなりひどく。
左だったか右だったか(すでに忘れてるw)手足がとってもだるく・・。
もうだめだーとプレドニン免疫抑制剤の投薬をはじめたのだった。

飲んで数週間で
やけにハイになっちゃってね。
プレ服用で湿疹もおちつくから、動けるようになって
プレの副作用か。あちこち片づけ始めたりとか
1時過ぎまでねれなかったりとか。

あー、日記書いとけばよかった。
何かホント書けなかったんだよね。
こうやって昔の日記読むと
ああ、大変だったんだなと思う。

もっと昔の日記は前のパソコンのロータスに書き込んでて
それは、パソコンが壊れるとともに引き出せなくなってしまった。Webにかいとけばなー。
あのパソコンには一番ひどいころの、ゾンビの写真がたくさん。親にとってもらってパソコンにいれておいた。
頭に亜鉛化軟膏を塗り、ガーゼをあてて包帯巻いて〜とか
脇の下にも薬を塗ってガーゼをあててとか、
痛かったなあ。はがすとき。
お風呂大変だったなあ。

今も実はお風呂に入るときは気合がいる。
そけいぶまわりとか湿疹が出やすくしみるのだ。
あのころより格段に格段におちついているのに。

大変だったな。あの頃。
「よく頑張ったよ。オペラ。」
「よく耐えてきたよ。オペラ」

って今の状況も将来の副作用満載の強い薬で抑えてるだけなんだけどね。

まー、先のことは、おいておくとしようか。

老婆のように。

久しぶりのログイン。パスワード忘れてログイン苦労した。
さっきテレビで佐伯チズの話をやっていた。

旦那さんが亡くなり、ショックで鬱になり引きこもっている間に白髪になった、老婆のような肌になったという。

それでその時の写真が写った。43歳。
確かにシラガだ。でも肌はつるっつるだった・お化粧もしてた。
どこが老婆?

老婆に見えるってのはね、
10歳の姪をつれて出かけた博物館の受付で
「証明書もってますか?(65歳以上は無料)」
と言われたり、
姪と一緒に行った先で、見るからに70代とおぼしきおじいさんに「お孫さん、いくつ?」と言われたり、

当時70の父が入院してるときに、「妹さんですか」と言われたりすることだよ。

写真のチズさんは、白髪だけど化粧もできてるし、43歳の時の写真の肌にはハリがあった。
老婆っていうから、どんなもんかとおもったけど・・比べちゃいけないけど、私のほうが老婆だ。
プレドニンのんで顔の状態は回復して、一時より若返ったかな♪と思てる現在の私のほうが
当時チズさんよりかなり老けている。

なんだかねえ。やっぱりかなりアトピーひどかったんだな、と思った。ここでも書いてきたけど、父の妹に見られたりって酷いわ。
よく頑張った。今の世の中見た目が9割と言う、ルックス重視の世の中でよく生きてきた。自分と自分で自分をねぎらったりして。

今は、こうげんびょうでステロイドのんでるから、
顔は若返った。体の肌も、手足は若返った。
でも下腹部とかのじくじくはあるし、
髪の毛はもちろんあいかわらず坊主。

不安は、飲み始めたステロイド10?と、免疫抑制剤
去年の6月、どうにもこうにも体がつらく、治療に踏み切ることにしたのだ。炎症反応CRPは6〜10と高く、
肌もアレアレ。足の裏は皮が向け、足の爪は半分浮いて、
体も汗がでず。熱がこもり、37度半ばほど、は常時こえて。
なにしろダルイ。左手足も重かった。
しかたなく意を決して
飲み始めたのだ。
先生はプレドニン30ミリスタートといったけど
怖かった。本を読むときょうひしょうの症状ではプレドニンはあまり抗をそうさないとあった。(おいw先生に失礼じゃん)
体重も38kをきっている状態で30みりってのは、体重60kの人が飲む30ミリとは負荷がちがうのでは?とか。
血清亜鉛も鉄もひくいのだから、カルシウムだって低いはずだしとにかく、プレドニンを大量服用して、眼、骨にくるのが怖かったのだ。
先生は次に15ミリと免疫抑制剤プログラフ1錠1ミリを服用と言った。
だから先生に10?からスタートをお願いした。
「10?じゃきかないよ」とは言われた。
免疫抑制剤も怖かった。ググるとがんになる比率があがるとかでてくるし。

でも体がどうしょもなかったので、ステロイド10?とプログラフ1ミリではじめた。
4から10をいったりきたりだったCRPが1〜2台にさがった。プレドニンを減らしてきた。そうしたらやはり2半ばから3にあがってきてしまった。

しかしいぜんに比べ体は楽だ。
皮膚の症状は劇的に改善した。
プレドニンを飲み始めた当初はとてもハイになりあちこちを片付け始めたり、夜寝れなかったりした。
元気になった。
しかしこれは魔法のくすり。いつまでも飲み続けるわけにもいかないのだ。
プレドニンを減らすにあたり、免疫抑制剤が増えた。
プログラフのほかにプレディニンが増えた。

どちらも薬価が高い。
幸いなことに、今は難病の特定疾患補助が効いていて、
診察費はあれど、薬代は無料だ。
助かる。いや、特定疾患で補助がでるからこそはじめ田免疫抑制剤

一時先生が勘違いして、プログラフは1日800円×30日で24000円の3割。7200円。2錠剤のむとして15000円近くといわれて、とてもはじめられないと思った。そのほかに皮膚科の薬代などもあるからだ。

「先生、特定疾患でも払わなきゃいけないんですか」
「あーそうだった、もってたっけ?」
(先生の前の非常勤の先生が判断してくれたので先生は忘れてたみたい)
はい。
とてもじゃないけどその他の医療費もかかるので
まともに働けてない身分で高いお薬は飲めない。飲み続けられない。
免疫抑制剤リスクはあれど、薬代無料というおかげで始められた。
始めざる負えなかった。それほど疲労が強かった。

プレドニン
しかし、一向に減らない。10?スタート、いまだ8ミリ。
といっても実は7ミリにしてる私。
先生が初期消火が大事といっていた。
30ミリスタートでCRPを完全基準値内におさめることができてたら、、もしかして今はもっと順調に減っていたのだろうか?
否。地元患者会に出席したとき主治医は20mmからは2か月に1ミリぐらいの割合でしか減らさないみたいと行っていたからね。

30ミリスタート
でも怖かった。プレドニンの副作用には骨粗しょう症による大たい骨壊死や、骨折緑内障白内障、その他気あがり下がり、躁鬱などもろもろ。

ふぅーこわいよー。やめたいよー。

血清亜鉛は毎回はかってもらってるが、やはり70と低くプロマックをお願いした。
しかし飲み始めて3日目目が真っ赤になった。
あれ?どうしたんだ?あ、もしかして
来たか〜角膜潰瘍

鏡をみても目が赤いが黒目に潰瘍がなかったのでもらってる点眼抗生剤と軟膏をぬって、翌々日にはおさまった。ほっ。

7月先日の診察で。先生に
「先生骨が心配なんですけど、薬とかどうなんですかね」
「飲む?飲める?」
「鉄剤とかカルシウム亜鉛をのむときに、大丈夫なときもあるけど、眼に潰瘍ができたり真っ赤になるときあり、
骨そしょうしょうのお薬のんで、眼にきても困ります・・」と答えた。
骨のくすりのは一週間に1回服用とか1月に一回服用が主になってる。依然のように毎朝服用して30分は横にならないようにとか制約があるよりは楽だ。
が一月に1回服用ということは効果はその分じぞくするということ。もし目に潰瘍ができても、その薬の薬効をタダチに解毒することはできないということだ。

どうして骨が心配かというと手首がいたいのよね。
肋骨も痛い。恥骨周りも痛い。

地元の同病の人にいぜん聞いたら「知らない間に肋骨がおれていた。一年に2回折ったこともあるそうだ。
そういうときはコルセットだそう。

ふぅー、大たい骨とかも心配。
カルシウム剤の時にも目があかくなったこともあるから
とりあえず牛乳、小魚補給と日光浴だな。

アトピーで長らく太陽にあたっていなかったからビタミンDも足りないだろう。足指の湿疹であるかなかったから骨も弱ってるね。

胸骨ちょっといたいけどラジオ体操してみた。
あしたからちょっとずつ頑張ろう。

ふぅー。
プレを減らすと、また湿疹がぶりかえしてくることも確か。
耳回り、一時おちついていたけど、じくじくしてきてるし
足指も同じく。これは暑さゆえ蒸れたのもある。

ぱすわーどもわかったし
またぼちぼち投稿してみることにします。

皆様よろしゅう。
皆様のアトピーや病気が、治りますように。

七夕はすぎちゃったけど
♪七夕祭り星祭り
みんな元気になるように
お祈りしましょ、お祈りしましょ祈りましょ。

って幼稚園のころにならった七夕の唄をうたってみたりする。

生きてます。

長らくブログほおっておきました。
昨年どうにもこうにも疲れやすく内科受診。
そのあいだに膠原病であることがわかりました。
疑いは前からありましたが、
ああ、血液検査もそれで納得。

ステロイド服用治療を薦められています。
まだ飲んでいません。

膠原病は難病ですが、アトピーも同じ難病だと思います。

ここ数年死んだように生きてますから。
ただ毎日やりすごしている感じ。
健康なころは生き生きしてたんですよ、これでも。

無期懲役の二段重ねですか?神様。
私ってそんなに悪いことしたかなあ。

やりたい放題やって、わがままでも、
健康、美、伴侶、金、家族
全部が与えられてる子がいるのにね。